日本語ラップ #02: JJJ 『心 feat. OMSB』

米内(@lmt_swallow)です。もう 2024 年になってしまいましたが、2023 年もっとも好きだった 1 曲として、JJJ のアルバム『MAKTUB』収録曲『心 feat. OMSB』について書いてみます。


JJJ 『心 feat. OMSB』

Fla$hBackS 時代の楽曲からのファンとして、KID FRESINO や JJJ の曲はほぼ全て聴いている。最近は Febb が関与した『Salud』の MV が再公開されたりもしたから、なんだか懐かしくて、Fla$hBackS の楽曲をあらかた聴き直した。そんな最中にリリースされたのが『心 feat. OMSB』だった。

同作は、JJJ が 2023 年 6 月にリリースしたアルバム『MAKTUB』収録の一曲だ。プロデュースは『夜を使い果たして』等の名曲で知られる STUTS、客演には SUMMIT から OMSB が参加している。JJJ が語るところによれば、この曲自体が STUTS との縁のもとで生まれたものだという(詳しくは Apple Music のページ を参照してほしい)。

リリックの構造・技法・文脈

同作はトラックの秀逸さは言わずもがな、リリックに JJJ/OMSB の魅力がここぞとばかりに込められた一曲だ。ここでは、リリックの構造(ストーリー)や、その中に垣間見える JJJ/OMSB の技法・文脈について考察を試みる。

ここからは、以下のような記法を用いるときは、特別に断りがない限り、JJJ 『心 feat. OMSB』のリリックの引用である:

… 引用された歌詞 …

また、斜体(引用された歌詞)を用いる場合も同様に、同作のリリックの引用である。どちらの引用方式においても、引用範囲は批評という目的のもと必然性を伴う、必要最小限に止めてある。

「そして」から始まるストーリー

同作において、いや JJJ の楽曲の多くにおいて1、JJJ のリリシズムは 冒頭 2-4 小節で提示されるストーリー に光る。例えば同作『心 feat. OMSB』のリリックは、以下のようなフレーズから始まる:

そして心には入(はい)れないと誰も

問題を知りたいようで目を逸らして

この冒頭の数小節においては、同作で提示される衝突に関する葛藤が、なめらかに導入されている。敢えて冒頭に配置された接続詞「そして」2 が、葛藤に至るコンテキスト3の存在を示唆しつつも、葛藤の内容に深入りすることなく葛藤にレンズを始めから向けていく。この “カメラワーク” は JJJ ならではの味だ。

パーソナルな経験として描写される、他者との衝突

続く数小節では、JJJ が経験した他者との衝突が描かれていく。

はじめに描かれるのは「家族」にまつわるエピソードだ。JJJ がメディアで語ることには、JJJ は離婚を経験したようだ。とすると、聴き方次第では離婚後のバツの悪い会話の描写かもしれないし、もう「1 人の自分」を現在 JJJ が離れて過ごしていると語る子供を指すのかもしれない。文脈的に STUTS を指しているのかもしれない。解釈は様々ありえそうだ。

家族はいますか

無理して笑ってる

もう 1 人の自分を今は抱きしめてあげたい

続く部分では、薬物に溺れる人物との衝突が描かれる。Fla$hBackS が経験した悲劇のことかもしれないが、これは邪推の域に入るだろうから、深入りしない。

例えば大好きな人

取り上げる薬

お前のためだとか

うるさいしわかったふり

情景の移り変わりが描く、葛藤の経過

続く数小節では、ここまでの心理・背景描写から情景描写的な技法が織り交ぜられるようになっていく。例えば直上のリリックの後には、以下のようなフレーズを通して、台場(お台場)というロケーションが提示される:

殴り合った台場

理性のない会話

震えてた手のひら

その後、場面は移動後(おそらく帰宅後)の川崎・塩浜4に移っていく。

帰れば頭を抱える

夜は長すぎる

塩浜の陸橋

煙を吸い込む

このような、ほんの数小節の間で異なる地理的背景を提示し、時間的距離を圧縮して表現する・場面転換を表現する技法は JJJ の楽曲においてしばしば見られる。アルバム『MAKTUB』中で同作の直後に収録される『 STRAND (feat. KEIJU)』における 大師の門、頭上迫る雷雲 19 時現在 / 駅前に葛藤書き留める」 (川崎大師の不動門から駅までの間の移動描写)もその例だ。

そして葛藤は、制作への意欲へ

長い夜や葛藤は、仮に寝付けたとしても解決することはない。それが続くリリックでの夜 → 夢 → 現実という時間経過により描かれる。

[…]

夢が覚める、いつもここで

[…]

しかし、同作において、葛藤の末に至る点というのが 「曲を作る」 という昇華手段である。

[…]

だから曲を作る

そう決めた stuts のトラック

[…]

FNMNL でのアルバム『FNMNL』に関するインタビュー で、JJJ は以下のように述べている。これまでのリリックでは、まさに描写されてきた人との衝突や、それに由来する葛藤を経て、最終的にラップとして表現することを選ぶ JJJ が浮かび上がるから、まさにこのリリックは以下と符合している:

こういうこともぶっちゃけてラップにすればいいんだって。つらいとかそういうことを、今までは回りくどく言ってたんですけど、それをもうちょっとストレートに全然言っていいんだなみたいな、と思った気がします。

離れてみること、気分を変えてみること ― フックは語る

そのような葛藤を昇華するためのヒントが得られてから数小節で訪れる同作のフックの前半は、OMSB が以下のようなフレーズを通して、いわゆる「灯台下暗し」に似る状況を歌う:

もっと遠くに行こう

誰が悪い訳じゃないけど

いつも近くにいれば

中々目に映らなくなるシーン

まるで限りなくシースルーな blueprint

離れること、遠ざかることより見えるものの存在を語る。冒頭提示された衝突は、どれも非常に近い存在との衝突だった。しかし、その衝突の昇華を意識して、敢えて距離を取らないと見えてこないものの存在 を提示するのがこの数小節だ。

また 「シーン」 という語は、同作リリースまでの HIP HOP シーンとの距離感(このアルバムは JJJ としては 6 年ぶりである)を考えると、(歌っているのは OMSB であるが) JJJ がこの期間に経た心理変化をも思わせている。

一息ついた、その後

フック後すぐ、JJJ からは、力の抜けた肩から軽快な一言が飛び出す。ここにはフックで提示された「距離を取る」という行為のおかげか、一度葛藤(や自分が抱えている想い)に対しての落ち着きを得たことが伺える。フックの存在が、異なる temperature の心理描写を分断することで、リスナーの理解にストンと落ちる効果を与えてもいる。

なんか重すぎたね

[…]

想いたいことは ego

どうしたって勝手

[…]

人が人を想うことは、あくまで一方的な感情の表明であり、受け手側は 「どうしたって勝手」 である。冒頭では 「お前のためだとか / うるさいしわかったふり」 という一節があったことを考えると、時間経過による心理的成熟が表現されているとも捉えられる。

その後は 「悩ましいが初台」 等の土地に紐づく情景描写を通して、2 バース目はフックへと流れていく。この辺のリリックも美しいが、記事分量が長くなりすぎるので、深入りしない。

腑に落ちて、そして、それから

その後、3 バース目冒頭の以下の 4 小節において、JJJ は 自己の感情の蓄積の再発見 を描く。

[…]

それの近くにいた

怒ったり笑い

後で見てみれば全部がこの胸にある

[…]

これまで OMSB のフック 「もっと遠くに行こう / 誰が悪い訳じゃないけど / いつも近くにいれば / 中々目に映らなくなるシーン / まるで限りなくシースルーな blueprint」 には既に 2 回訪れてきた。このフックで提示されてきた 遠くから何かを見つめ直そうというテーマは、一つ前のバース(2 バース目)では胸がすいたような一言 「なんか重すぎたね」 を誘導していたのだった。

一方、3 バース目では内的感情の再発見という形で着地を見せたことになる。このような、OMSB と JJJ のフック・バースがうまく交点を持ち続けた美しいリリックは、同作の中でも特に印象的だ5

3 バース目後半では、場面が屋上に転換される。そして、再度若いや受容を匂わせるような言い方で、 「心には入れないと誰も / 問題を知りたいようで目を逸して」 (1 バース目) 「想いたいのは ego」「分かりあえてもつらい」 (2 バース目)といった過去が越えられていく:

[…]

今は屋上

煙は向こう

[…]

この曲の終わりにはあいつに電話しよう

[…]

「煙は向こう」 というフレーズも技巧的だ。衝突に苦しまされる 1 バース目には 「塩浜の陸橋 / 煙を吸い込む / 落ちたっていいから / また煙を吸い込んで」 (→ 煙は自分の内)という一節があった。これに対して平穏を向かえた 3 バース目はには 「煙は向こう」(→ 煙は自分の外)にあるというわけだから、煙に仮託した形で心理が描写されていると考えてよいだろう。

最後に

いやあ、いい曲です。ここではリリックにフォーカスして考察した。一方、トラックの秀逸さ(サウンド作りにも非常に引き算を感じる)についても時間が許すならいつか言及したい。

また、JJJ の前アルバム『HIKARI』からのフローの変化(特に母音がアの音を中心とした発音の “スタッカート感” の変化、レイドバックの使い所の変化)も聞き心地に大きな影響をもたらしているように感じるから、この点に関しても『MAKTUB』の他の曲の考察としていつか書きたい。

とにかく JJJ『心 feat. OMSB』や収録アルバム『MAKTUB』、全曲最高なので、ぜひ聴いてほしい。Apple Music のリンクを貼っておく。

  1. 本当に JJJ の楽曲の冒頭は、彼のセンスが多分に凝縮されていることが多い。JJJ のアルバム『Hikari』収録の一曲『2024(feat. Fla$hBackS)』の冒頭で導入されるパーティーソングとしてのテーマ 「あのパーティが終わる / 新たなキーを回す / 全てにおいて言えること / 頭ん中めぐる」 (リリックから引用) や、STUTS と JJJ の共作の中でも特に有名な『Changes』の冒頭 「全ての罪に目を瞑る / 北沢の街灯 俺から伸びた影を辿る / 未だにベッドの上のあいつにも / 時が来れば許す心と会いに行こう」(リリックから引用) 等。 

  2. なお、このような接続詞から入る技法は、Fla$hBackS を通して JJJ とも縁深い KID FRESINO の楽曲『Coincidence』の冒頭 「例えば we all die for this shit」 (リリックから引用)にも見られるのも推しポイントだ。 

  3. この直後のリリックを考えると、JJJ 自身が制作期間中に経験している離婚や親権の喪失、また Fla$hBackS 時代のメンバー Febb の死去といった、JJJ を取り巻く 

  4. FNMNL のインタビュー で言うことには、塩浜は川崎市川崎区塩浜を指すらしい。 

  5. OMSB 「もっと遠くに行こう」 → JJJ 「i got it new jeans / それで遠くまで行こう omsb」 → OMSB 「ayo j and stuts / let’s do that shit! we bangin’ out」 という掛け合い等、同作には多くのリリック上の交差が見られる。一般に、featuring 曲の中で、異なるラッパーのバース間でリリックの相互関係が見られることは少なくないが、個人的には OMSB と JJJ、STUTS のこの掛け合いは好きな部類だ。 

Written on January 1, 2024