きまぐれログ #4: 思い出石ころ
この時期って感情あふれるよね 2021。 あまり小綺麗にまとめるほどのモチベーションはないものの、この気持ちを言葉にしておきたい欲求に駆られたので、書き殴っておきます。
随想
個人的な期待に反して、どうやら時間はいつでも滞りなく流れてくれているようで、僕はもうじき大学を卒業することになる。 大学院には進学しない。 この春からは、いわゆる新卒一年目という枠に収まることになる。
そんな節目の今、集中できないときに手慰みにできることがほしいという欲求や、引っ越しという現実的な要請もあって、 自宅の様々なものを整理し始めている。 入学時に押し付けられた大量のサークルのちらし。 新歓行事でもらった肌触りのいいタオル。 イベントのノベルティでもらったトートバックや、クーポン。 大学1年生の頃から使っている携帯の端末と、その他の些末なもの。 これらをお家のタンスから取り出す。 見る。 触る。 読む。 洗う。 消す。 しまう。 捨てる。 冬の朝の外気のように乾いた無機質な過程の中で整理は進む。
その整理のプロセスで向き合うものたちは、そのへんに落ちている石ころに似ているなと思う。 一瞥しただけでは、それは石という型を持った物体のひとつの個例に — いわば有象無象の中の 1 つに過ぎないように捉えられるのに、一度じいっと眺めてみると、それぞれ別の形をしていて、別の人生、もとい「石生」や「もの生」を想起させるという点においてだ。 いつ手に入れたとか、どこで手に入れたとか、誰から手に入れたとか、それをどう使ってきたとか、そういった僕に関する情報を僕の代わりに抱えながら、物言わぬ彼らは存在している。 ハードディスクのように、分霊箱のように。 彼らは雄弁であり、物静かだ。
そして、家に転がる石ころたちの整理を進める過程では、やむなく石ころのひとつひとつを咀嚼する羽目になる。 文字通りに石ころを咀嚼するのと同等に(ほんとうに石を食べたことはないので、推測の域を出ないのだけれど)、家中の石ころたちを咀嚼するのは、実はとびきりに難しく、かつ痛みを伴う行為であるのにだ。 僕のちっぽけな脳は過去の記憶を簡単にはアクセスできないように整理してくれるけれど、具体的なモノは簡単にそれを引き出してくれる。 過去を眺めるのはつらい。 戻れない場所、もう手に入らない体験、過去の愚かな自分、それらは須らく見るに耐えない。 失ったものを追いかけるような自分ではないが、いざ思い出と正面から向き合うと、多少なりとも感傷的な気分にはなってしまう。
ただ、この過程で感じる痛みが、最近はむしろ心地よいと感じるときがある。
この気持ちは、昔は嫌いだった地元の草熟れを、たまに息をうんと吸って感じたくなるときのあの気持ちと一緒だ。 東京のワンルームでの暮らしはどうしようもないくらいに閉じきっていて、乾いていて、無機質である。 この寂しさが、ひらけていて生々しいあのにおいを恋しくさせる。 あの風とにおいに、世界の広さとか、温かみとか、生きるということの生々しさを求めたくなるときがあるのだ。 同じように、生の過去を抱えて家に転がる「思い出石ころ」たちは、それらをまじまじと感じさせてくれているから心地よいのだ。
冬曙の東京の空気に喩えたほどに無機質な過程に、暑中の地元の草熱れを感じた、午前5時14分。 今日も頑張ろうと思いながら筆を置く。
日本語ラップ
しばらくこういう記事を書いていなかったから、もうリリースからしばらく経った曲になってしまうが、2020 年後半は Creepy Nuts の『かつて天才だった俺たちへ』をよく聴いていた。 同作はポップな曲調に仕上がっているが、日本語ラップイズムを感じるビートアプローチやワーディングが多分に含まれた、素敵な一曲だと思う。R 指定関連だと梅田サイファーの新曲『HEADSHOT pt.2』もよかった。
また、ミュージックビデオが出ているものだと、ZORN と BOSS THE MC の『Life Story』なんかも好き。ストレートなパンチラインの中に、これはというリリシズムを感じる比喩が上手く織り交ぜられたリリックも魅力的なのだが、純粋に BOSS のラップのパンチが素敵。
2020 年後半から今年の今にかけて最も好きなのは、PUNPEE の『Curry Song (2020 Remastered)』(この YouTube チャンネル、公式っぽい見た目してないけど公式なんだよね)。 これは SUMMIT の記事で述べられているように、Small Token pt.1 という PUNPEE のリマスタリング曲集に入っている曲だ。 もともと一般流通していなかった曲ばかりが入っているので、ファンとしてはとても嬉しい。
その他 KID FRESINO のアルバム『20, Stop It.』や、SEEDA の『Nakamura』 なんかもよかった。前者は聴き心地がよい。後者は SEEDA さんこんなもの出来るのか……すげえ……という感じの一曲。